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地下鉄の片隅で咲いた「おばあちゃんの笑顔」が教えてくれたこと

2025年9月1日

タイトル画像:地下鉄の片隅で咲いた「おばあちゃんの笑顔」が教えてくれたこと ―看板広告の力について


地下鉄の駅。人々はプラットフォームの壁面に設置された数多くの看板広告を、ありふれた風景と見なして、意識の網の目からすり抜けていく。しかし、もしそこに突如として、何の説明もなく、見慣れない「異物」が鎮座していたらどうだろう? 私たちは立ち止まり、目を凝らし、その意味を探ろうとするのではないか。


それは、スペインの地下鉄で実際に起こった、ある「看板広告」の話である。


広告の常識を覆す挑戦

イメージ画像 2つのイメージ 海外の地下鉄のホームとハテナマークの書かれたおばあさんのシルエット


JCDecauxは、スペインにおける地下鉄広告への投資減少という、切実な課題に直面していた。デジタル広告の台頭、そしてパンデミックによる人々の生活様式の変化が、屋外広告への関心を失わせ、広告効果を疑問視する風潮を生んでいたのだ。しかし、JCDecauxは、屋外広告というものの根源的な問いに挑んだ。彼らの出した答えは、シンプルで、そして大胆なものだった。


フォロワーがわずか28人。それも100歳の無名の老婆、マリーナ・プリエトのInstagram投稿を、説明を一切加えることなく、数百もの地下鉄広告スペースに掲載したのだ。何が写されているのか?誰なのか?なぜここに?――あらゆる疑問符が、見る者の心に刻まれたことだろう。それはまるで、絵画の題名も作者名も示さず、ただ作品だけを展示する美術館のようだ。常識から外れたその手法は、やがてSNSで話題になっていく。

■参考サイト:https://www.adsoftheworld.com/campaigns/meet-marina-prieto


 好奇心の連鎖

イメージ画像 スマートフォンから、いいねマークが沢山出ている様子


結果は、JCDecauxの予想をはるかに超えるものだった。地下鉄という物理空間に突如現れた「謎のおばあちゃん」は、瞬く間に人々の好奇心の中心となった。スマートフォンで写真を撮り、SNSに投稿する人々が続出したのだ。そして、その情報はインターネットの海を駆け巡り、ソーシャルメディアのトレンドとなり、報道機関――テレビ、ラジオがこぞってこの現象を取り上げた。

マリーナおばあちゃんのInstagramアカウントは、このキャンペーンによって39,285%という驚異的な成長を遂げ、エンゲージメントは13,405%も増加した。それは、物理的な広告媒体が、デジタルでバズる強力なトリガーとなることを実証した瞬間だった。まるで静かな池に投げ込まれた小石が、瞬く間に大きな波紋を広げ、ついには大海へと到達するかのようだ。キャンペーンの情報はスペイン国内を越え、14カ国で言及され、国際的なニュースとなり、広告業界に大きな衝撃を与えた。


見せるのではなく、「見つけさせる」力

イメージ画像 虫眼鏡を覗き驚いた顔をする男性


この事例を知った時、広告が持つ本来の「力」について改めて深く考えさせられた。情報過多の現代において、企業が一方的にメッセージを投げかけるだけでは、人々の心には響きにくい。しかし、JCDecauxのキャンペーンは、人々が「自ら発見し、共有する」という体験そのものをデザインしたのだ。彼らは、広告という枠を超え、一種の「社会実験」を仕掛けたと言えるだろう。

なぜそれが人の心を掴んだのか? おそらく、そこには「人間性」があったからだ。完璧に作り込まれた広告表現ではなく、ありのままの「誰かの日常」がそこにあった。説明がないからこそ、見る者は自分なりの解釈を試み、共感し、そしてその描き出された日常のシーンと共感したい、という欲求を刺激されたのだ。それは、まるで子供が新しいおもちゃを見つけた時のような、純粋な喜びと探究心に近い感情だったのではないか。

屋外広告は、人々の想像力を掻き立て、共感を呼び、そして行動へと駆り立てる「触媒」となり得るのだ。


数字が語る確かな未来

イメージ画像 老夫婦のフィギュアがグラフを見ている様子


このキャンペーンは、その圧倒的な成功によって、屋外広告の力を再証明し、ブランドの再投資を促すことに見事に成功した。185もの新規ブランドが関心を示し、メディア投資は倍増。JCDecauxの予約は記録的な水準に達したという。これは、屋外広告が決して古びたメディアなどではなく、デジタルと融合することで、より一層その価値を高められる可能性を秘めていることを示した揺るぎない証拠である。

マリーナおばあちゃんの笑顔は、我々に何を教えてくれたのだろうか。それは、広告の「力」とは、単にリーチやインプレッションの数だけではないということだ。時には、静かで、しかし強烈な好奇心を刺激する広告表現が、人々の心を動かすという事実である。