コラム
Column

英国、旅行オンラインサービスが展開する「旅の看板広告」が秀逸な理由
2025年7月28日

私たちは日々、無数の情報に囲まれて生きている。特に都市空間においては、視界のあらゆる場所に広告が溢れかえっている。その膨大な情報の波の中で、一体どれだけのメッセージが私たちの心に響き、記憶に残り続けるだろうか。多くは砂上の楼閣のように儚く、すぐに消え去ってしまう。しかし、ごく稀に、その喧騒を打ち破り、心に深く刻まれる広告に出会うことがある。それはまるで、長大な物語の中の一節のように、ふとした瞬間に脳裏をよぎり、私たちの深層意識に語りかけてくるのだ。
私自身もまた、通勤途上の道路や街角で、あるいは郊外のロードサイドで、多くの看板を目にする。時にその無機質さにうんざりすることもあるが、時として、ハッと息をのむようなクリエイティブに出会うと、まるで宝物を見つけたかのような喜びを感じるものだ。最近見つけたそんな看板を紹介しよう。英国の旅行プラットフォーム「GetYourGuide」がロンドン市内で展開した、ホリデーシーズンに向けた集客キャンペーンの野立て看板である。
GetYourGuideキャンペーン:戦略の妙

このキャンペーンは、ロンドン地下鉄の駅構内や主要なロードサイド、街中の多くの人が集まる道路際といった、まさに「人通り」と「視認性」が極めて高い場所を選んで展開された。設置場所が通勤・通学客でごった返す地下鉄駅や、交通量の多い幹線道路沿い、人通りの多い大通りなど、都市の動脈とも言うべき高トラフィックエリアに集中していたことは、その戦略的思考の表れに他ならない。
特筆すべきは、実施時期がホリデーシーズンと見事に合致していた点だ。人々が旅への憧れを募らせ、具体的な計画を立て始める、まさにその瞬間に、彼らは私たちの目の前に現れた。旅行や体験への関心が高まるこの時期に、最も人目に触れやすい媒体で直接的な訴求を図ることで、新規顧客獲得とブランド認知の向上という明確な目的を、まるで標的に矢を放つがごとく射抜こうとしたのである。
■参考サイト: https://www.adsoftheworld.com/campaigns/ooh-campaign
視認性とタイミングが織りなす魔法

このOOHキャンペーンの面白さは、何よりもその「視認性」と「タイミング」が絶妙だったことにある。通勤・通学で毎日同じ景色を目にする人々にとって、地下鉄駅構内や道路沿いの広告は、時に背景と化してしまう。しかし、GetYourGuideのそれは違った。ホリデーシーズンという「旅行したくなる」心理と重なることで、広告が持つ興味喚起の効果は最大限に高まった。それは、まるで演劇の舞台において、役者が最高のタイミングで登場し、観客の視線と感情を一気に引き込むがごとくであった。
ブランドと季節のリンクもまた、驚くほど自然だった。旅への気持ちが高まる時期に合わせた広告展開は、消費者の心象に「旅への期待」という揺るぎない感情を喚起させる。オンライン広告が瞬時のクリックを求めるデジタルな世界の中で、現実空間に大きく、そして目立つ存在感を放つOOHは、印象に残りやすく、時に口コミやSNSでの拡散にもつながる。デジタルの波がどれほど押し寄せようとも、私たちの五感に直接語りかける「リアル」な体験の力は、やはり侮れないのだと改めて気づかされる。
言葉が織りなす旅の誘い:コピー分析

このキャンペーンの核心は、野立て看板に掲出したそのウィットに富んだコピーワークにある。日常と非日常のコントラストを巧みに表現し、単なる観光地の羅列ではない、旅の「本質」を浮き彫りにしていた。
日常との対比:バンコクのチリディップ
一枚目のコピーは、こう語りかける。「7AM at the lido. Brave the chilly dip.」(朝7時、リドで。冷たい水に勇気を出して飛び込む。)これは、日常に潜むささやかな「挑戦」だ。その隣に置かれるのは、「7PM, BANGKOK street food tour. Brave the chilli dip.」(夜7時、バンコクのストリートフードツアー。チリディップに勇気を出して挑む。)という非日常の体験だ。同じ「Brave the chilly dip/chilli dip」という言葉遊びが、日常のちょっとした不快感が、旅先では予測不能なスリルへと変貌する様を鮮やかに描き出す。まるで、同じメロディラインでも、演奏する楽器やアレンジによって全く異なる感情を呼び起こす音楽のように、言葉が私たちを誘う。
本物への昇華:セビリアのフラメンコ
二枚目はさらに洒落が効いている。「Throwing shapes on a sticky club carpet. Classic.」(ベタつくクラブの絨毯で踊る。定番だね。)これは、多くの人が経験するであろう、ありふれた夜遊びの風景だ。対して、「Twirling your partner at a flamenco class in SEVILLE. Clásico.」(セビリアのフラメンコクラスでパートナーと踊る。本物だね。)と続く。「Classic」とスペイン語の「Clásico」を並置することで、日常の平凡な楽しみが、旅先では本物の文化体験へと昇華されることを示唆する。この言葉遊びは、単なる表面的な類似ではなく、体験の深さそのものに光を当てていると感じる
文化への没入:マドリードのパエリア
三枚目のコピーも秀逸だ。「The Spaniards Inn, Hampstead does a class pie.」(ハンプステッドのスパニアーズ・インは美味しいパイを出す。)ロンドンにあるパブでの日常的な満足感だ。しかしその対比として、「The Spaniards in MADRID do a paella class.」(マドリードのスペイン人はパエリア教室を開く。)と続く。どちらも「Spaniards」という言葉で繋がっているのが面白い。単なる「美味しいものを食べる」という体験が、旅先では「その国の文化に飛び込み、共に創造する」という、より深い没入体験へと変質する。これは、旅が単なる消費ではなく、学びと成長の機会であることを静かに示唆しているようだった。
言葉遊びの妙:ニューヨークのベーグル
そして、最も私の心に刺さったのがこのコピーだ。「2AM, Brick Lane. Really need a bagel.」(午前2時、ブリックレーン。本当にベーグルが食べたい。)夜中の衝動的な食欲、日常のあるあるだ。その隣には、「Baking class, NEW YORK. Really knead a bagel.」(ニューヨークのベーグル作りクラス。本当にベーグルを『捏ねる』必要がある。)と続く。「need」と「knead」という同音異義語の言葉遊びが、この広告の白眉だ。旅が単なる物欲の充足ではなく、新しいスキルや知識、そして創造的な体験をもたらすことを示唆している。このコピーは、旅が人生に与える本質的な価値を、最もユーモラスかつ的確に表現していると感じる。私たちは、表面的な欲求を満たすために旅をするのではなく、もっと深い場所で、何かを「捏ね」、新しい自分を「創造する」ために旅に出るのかもしれない、と。
視覚が語る旅の物語:デザイン分析

看板デザインは極めてシンプルでありながら、その意図は明確に伝わってくる。赤の背景と白いチケットという配色が、強いコントラストを生み出し、視認性を飛躍的に高めている。屋外広告という特性を考えれば、遠くからでもメッセージが伝わるこの配色は非常に効果的だ。赤は情熱や冒険を、白は清潔感や新たな始まりを想起させる。色彩心理学に基づいた、まさに計算し尽くされた選択なのだろう。
「GET YOUR GUIDE」のロゴとQRコードは、明確なコールトゥアクション(行動喚起)を示している。シンプルながらも、アプリのダウンロードを促す役割を果たすとともに、視覚的に「予約サービス」であることを瞬時に伝えている。
面白いのは、チケットの傾きと配置だ。まるで無造作に置かれたかのような配置は、堅苦しさを感じさせず、よりカジュアルで親しみやすい印象を与える。そして、そのわずかな傾きが、広告全体に動きとリズムを生み出し、活気を与えている。まるで、風に舞って傾いた一枚のチケットが、どこか未知の場所へと私たちを誘っているかのようだ。
上段に日常的なシーン、下段に旅行体験という構造は、コピーと連動して視覚的にも対比を強調している。特に下段のチケットは、実際の体験予約のチケットを模しており、具体的な行動へと導くデザインになっている。「今、この瞬間に旅を予約し、あなたの日常を変えよう」という、静かな、しかし力強い命令を内包しているデザインになっている。
旅の「本質」を抉る広告

これらの広告の面白さは、以下の複数の要素が有機的に結合している点に集約される。
まず、日常とのギャップが、多くの人々の共感を呼ぶ。通勤中にふと目にする平凡な日常の風景と、それが旅先ではどう変化するかという視点が、潜在的な「旅に出たい」という欲求を刺激する。平凡な日常の中に潜む退屈が、旅によって非日常の刺激や喜びに変換される様は、ファンタジーのリアル体験のようだ。
次に、ウィットに富んだ言葉遊びは、知的な面白さを提供し、記憶に残りやすくなっている。言葉の奥深さを感じさせることで、広告自体がアートの域に達しているかのようだ。
そして、予測不能な体験への誘いだ。既存の観光スポットの羅列ではなく、ストリートフードツアー、フラメンコクラス、パエリア作り、ベーグル作りといった、よりパーソナルでユニークな体験に焦点を当てている点が新鮮だ。「旅はガイドブックに載っていないような予測不能な体験こそが面白い」というメッセージは、現代の旅人たちの心に響く。イマジネーションを掻き立てる。
これらの広告は、「どこへ行くか」ではなく、「そこで何をするか」「何を感じるか」という、旅のより深い本質に訴えかけている。記憶に残る体験とは、時に予期せぬ出会いや、日常では味わえない挑戦の中にあることを示唆しているのだ。そのような問いかけを消費者の心に投げかける、秀逸な野立て看板だと思う。