コラム

Column

コラム
  • コロナビールと夕日の切り口──ライムのかたちをした記憶

コロナビールと夕日の切り口──ライムのかたちをした記憶

2025年5月14日

タイトル画像 コロナビールと夕日の切り口──ライムのかたちをした記憶


メキシコで飲んだコロナビールの記憶


ロンドンの街角に、ひときわ異彩を放つ看板が立っている。
赤でもなければ、黄色でもない。太陽の沈み際にしか出せない、あの橙色。
それが瓶の口にすぽりと収まるライムのようなかたちで、巨大に掲げられていた。


その野立て看板の写真を見た瞬間、わたしは思わず鼻の奥をくすぐる記憶を思い出した。
メキシコ、カンクンの浜辺。


あれはいつだったか。時間の概念がどこかへ溶けていくような、あの永遠に続くような午後だった。灼けつくような陽光と、サンダルの裏に入り込む砂。背後から流れてきたマリアッチの音楽は、記憶の中でいつまでも止まらない。
その日、私は人生でいちばん美味いコロナビールを飲んだ。


瓶の口にぐいっとライムをねじ込み、そのままぐっと傾けて喉へ流し込む。
喉をすり抜けていく冷たさと、ライムの酸味の爆発、ビールのほのかな苦み。
その一口で、暑さも、疲れも、煩わしい思考も、まとめて消えていた。


そして――その向こうには、沈みかけた太陽が、海の水平線に差し込まれたように光っていた。
あれだ。
あのとき、私は確かに思ったのだ。
「まるで、太陽が、コロナの瓶に差し込んだライムみたいだ」と。


ライムのかたちをした夕日。
コロナとライムと、沈む太陽。
それが、コロナビールのロンドンで行った野立て看板キャンペーンで現実になっていた。



■参考サイト:
https://www.adsoftheworld.com/campaigns/summer-time-is-served



「太陽のある時間の楽しみ方」を訴えかける野立て看板のキービジュアル

イメージ画像 ビル群と海に沈む夕日


ビーチで生まれたビールは、都会のど真ん中でもその魂を失わないらしい。
Corona(コロナ)の2025年春のキャンペーン『Summer Time is served』は、英国のサマータイム開始に合わせて始動した。
その仕掛けはとてもシンプルで、そして抜群に美しかった。


キービジュアルは、世界中の本物の夕日の写真。
それも、太陽が水平線に沈む一瞬、まるでライムのくし切りのような形をとった奇跡の瞬間だけを集めた情景。
そんなライムのような太陽が、コロナビールの壜の口に差し込まれているようなビジュアル。
完璧な円ではなく、ちょっとゆがんでいたり、光がにじんでいたり、色が揺れていたり――その「不完全さ」こそが、本物のライムに見立てた本物の太陽の証。
加工しすぎない“自然のままの一枚”にこだわったというあたり、さすがは「自然との時間」をテーマに据えるCoronaらしい。


しかも、ただのビジュアルではない。
ロンドン市内の数か所で屋外看板――野立て看板に、この“ライム夕日”をいくつも掲げ、まるで街がビーチになるかのような空間をつくり出している。
霧と曇天の国イギリスで、こんなにも強烈な“太陽の演出”。


さらにこのキャンペーン、編集系メディア「Secret Media」と連携して「サマータイムで余分に得た1時間の夕方をどう楽しむか?」というアイデアまで提案している。
いわく「今こそ、公園でビールを。屋上で乾杯を。友達と夕日に間に合うよう走れ。」
コロナは、商品ではなく「太陽のある時間の楽しみ方」まで売っていた。


心の記憶を辿るデザイン

イメージ画像 ビーチで瓶ビールを飲む女性


思えば、看板というのは不思議な存在だ。
強制的に目に入るのに、感情を動かすには、ちょっとした詩のような美しさや余白が必要になる。
今回の“ライム夕日”シリーズは、それをきちんとやってのけていた。


メッセージは、ただ一つ。
「Coronaは夕日とともに」


それだけなのに、人はビールを思い出し、ライムの酸っぱさを舌先に感じ、かつて見た景色を追体験する。
それはわたしにとって、カンクンの浜辺だった。
他の誰かにとっては、バリの海か、湘南のサンセットビーチかもしれない。
でも、Coronaの“瓶の口に差し込まれたライムのような夕日”を見た瞬間、みんな少しだけ無言になるだろう。
それはきっと、心のどこかにしまわれた記憶を辿っているからだ。


コロナビールが提供するのは味覚とセットの記憶

イメージ画像 ビールを飲もうとしている女性の口元


この看板を目にした人はきっと、あの夕日のライムを飲み干したくなってくるはずだ。
たとえそこが、雨の多いロンドンでも。
たとえ足元が、焼けた砂ではなくアスファルトでも。
この看板を見れば、その“味”を想像する。


そして、思い出は味覚とセットで甦る。
それが、ビールであっても、夕日であっても。


つまり、Coronaはただのビールではない。
それは「味のする時間」なのだ。


「瓶の口に差し込まれた夕日のライムを、もう一度ぐいっと、喉に流し込んでみようじゃないか」


そんな心の声が聞こえるようだ。
シンプルでありながら、人の感情に訴えかける、そして記憶のどこかに触れる、すてきな野立て看板だと思う。